サトウタナカの手記

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重要なのは成果や成功ではなく、行為 『ロルフ・ドベリ, Think clearly』の感想

 

Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法
 

 

次第

 

1. どんな本?

 著者であるロルフ・ドベリ(Rolf Dobelli)が”はじめに”で述べている通り、彼の「思考の道具箱」が記された本である。実際の生活で使用できる52の考え方の道具が収められている。本書では一貫した思想と言えるほどの背景は感じられない。あるとすれば実生活に役立つという実際主義的な思想である。単純に各章の内容を比較すると、矛盾と思われる部分もある。少々語弊があるかもしれないが、実生活を豊かにするために、著者の考える有用な考え方を様々な分野から集めてきた、といった印象だ。まさに道具箱である。この本にあるアイデアをどう使うのかは、読み手に託されている。

 本書の"道具"の出展について、”おわりに”の節で語られる。ひとつは心理学、二つ目はストア派の思想、三つめは投資関連書籍である。本文中に度々、ウォーレン・バフェットセネカの言葉が引用される。

 そして大切なことだと思うのだが、よい人生とは何か?という問いに対して、著者は「わからない」としている。とても誠実な答えだ。少なくとも彼は、従来のビジネス書にあるような社会的成功や経済的成功が豊かな人生であるとは考えていない。成功の定義は時代によって変わるものであるし、「物質的な成功を手に入れられるかどうかは、偶然によって決まる」と断じる。本書の内容には、現代に”流行っている”成功哲学について、こうした暗黙的な批判も含まれているように自分は感じる。

 そして彼は、よい人生が何なのかは分からないが、その秘訣は内なる成功にあるとする。すなわち平静な心を手に入れ、内面的な充実を図ることである。

 なぜCEOがわざわざ高価な腕時計を買うのか。それは自分の手首を眺めて、あるいはその腕時計に向けられる羨望の眼差しを通して、満ち足りた気分を味わいたいからである。結局は自身の経済力によって、充足感を味わっているに過ぎない。外的な成功を求める人も、結局は、自己の内面的充実を図っているだけだ。ならば初めから遠回りをする必要はない。実業家でもある著者が言うと説得力がある。

 本書には、こうした内面の成功に向けた、実際的な思考の道具が収められている。

 

Keywords: ビジネス書, ストア派, 秘書問題, 能力の輪

この本が関係しそうな問い

  • よい人生を送るためには何が必要か?
  • 天職を見つけるにはどうすればよいか

2. 柔軟に修正すること

 本書の訳者である安原実津が「あとがき」にて、本書の第2章「なんでも柔軟に修正しよう」について目を開かれる思いをしたと述べている。自分も本書を読んでいて同じ思いを抱いた。著者は飛行機が飛行中、予定されたルートを飛んでいるのは全体の何パーセントか?という問いを例に挙げ、修正の重要性を示唆する。私達がよく知る様に、出来事が予定通りことが運ぶことはほとんどない。

 予防や準備を重ね、不測の事態に備えることこそ重要である、という見方もできる。しかし文字通り、不測の事態を予測することは困難であり、また一過性の出来事であれば予防はまだ容易だが、継続的に取り組む場合は一層難しい。著者はこうした考え方に一石を投じる。最初の条件設定ばかりを重要視し、修正を軽んじている、と。

 私たちはなぜ、計画通りに沿うことに執着しやすいのか。それは修正することが、計画が間違っていたと認めるように思えるからである。そして自分の見通しの甘さを感じ、自分を無能であると感じる。しかし前述の通り、計画通りに進むよう外乱に対して常に備えることは、困難なのである。

 大事なのは完璧な計画を立てることでは無く、必要に応じて計画をその都度修正することだ。

 著者は作家だけでなく、実業家としても活躍する人物である。個人的活動ではなく、企業における戦略など、大多数で実行する計画ほど、修正作業が難しい。それでもなお、修正が重要だと主張している訳だ。

 初期設定に執着し、完璧な計画を立てることに多くの時間を割くよりも、実行しながら軌道修正する方が、実際的である。

3. 大事な決断では、十分な選択肢を検討すること

 あなたは秘書をひとり、採用しようとしている。候補者は有限な数、n人である。あなたはランダムな順序で候補者と面接を行う。面談を行った後には、面談者に相対的な順位付けを行い、その順位に基づいて採用するか否かを決める。この決定は一度きりだ。もちろん、ベストな人材を採用したい。これは統計や数学の分野で研究される、秘書問題と呼ばれる問題である。

 この問題の適切な解法は、既に導き出されている。n/e人にまず面接をし(eは自然数)、全員を不採用にする。その後、このn/e人の中で最も優秀な人間よりも順位の高い最初の候補者を採用すれば、最も良い選択ができる確率が高いらしい。100人候補がいれば、採用の基準のために最初の37人は不採用にするのである。

 一方で、私たちの生活における決定について考えてみよう。私たちは一体、どのくらいの候補を吟味してから決定を下しているだろうか。お気に入りの映画、作家、人生のパートナー、キャリアパス。大抵の場合は、十分な数の候補を検討する前に、早すぎる決定を下すのではないか。

 ではなぜ、私たちは早い段階で決定を下してしまうのか。著者は、試すのに”労力”がいるからだ、とする。当然と言えば当然かもしれない。そしてもうひとつの理由は、決断を保留にしたまま試すよりも、ひとつずつ課題を片付けた方が、頭の中が整理できるからである。

 この考えを端的に表現すれば、まず全体像を把握してから決断すること、と言えるかもしれない。決してアタマで考えて全体像を把握しようとするのではない。実際に行動し、”全体像を把握する”目的でトライアンドエラーを繰り返すのである。

 とはいえ、恋愛や仕事など、単純に試行錯誤をするわけにもいかない出来事は人生で幾つもある。「自分にとってのベストパートナーを把握するために、恋人を作っては別れる」などということをする人間は、控えめに言って最低だろう。

 何事もこの思考法でうまくいくとは思えないが、要は使い様である。非常に重要な一度きりの選択をするとき、あるいは何度やってもうまくいかないという事態が起きたとき、まず本来の目的を一旦忘れ、全体像を把握するために試行錯誤することは有効であるのかもしれない。

4. できることを仕事にする

 「人は皆、何かしらの才能を持っている。」「内なる声(心の声、天啓)に耳を傾けよう、そうすれば自分の進むべき道が見えてくる。」著者はこういった考えを幻想であると言う。そして所謂”天職”を追い求めるのは危険な行為であるであるとする。

 アメリカ人の作家、大学教授であるジョン・ケネディ・トゥール(John Kennedy Toole)は、自分は作家になるために生まれてきたという思考を持っていた。1964年、彼は出版社に自分の書いた小説を送付する。彼自身は百年に一度の名作を書き上げたと思っていたようである。

 彼は飛び級奨学金の獲得、また英文学の修士号を僅か1年で獲得している。その後わずか22歳で、Hunter Collegeの史上最年少で教授を務めるなど、実際に学問において才気あふれる人物であったようだ。

 しかし彼の出版の申し出は拒否される。何社か出版社を当たっても、答えは変わらなかったようだ。彼は失意の中、アルコールに溺れ、1969年に自殺してしまう。彼の死後、彼の母親が原稿を出版してくれる出版社を見つけ出し、出版された彼の作品「A Confederacy of Dunces」はアメリカ南部文学の傑作と評されることになる。皮肉にも、彼は死後、その年のPulitzer Prizeを獲得することになる。本の売り上げも150万部を超えていたそうだ。

 著者は、重要なのは成果や成功ではなく、行為自体であるとする。つまり、「明日こそノーベル文学賞を受賞できるはず」と考えるよりも、「今日は3ページ書こう」と考える方が健全である。トゥールも”作家”や”小説”にこれほど執着しなければ、実際に成功した作家として名を残していたのかもしれない。(これほどの執着があったからこそ名作が生まれた、という解釈もあるのだが。)

 私たちは自分のキャリアに野心を抱くとき、何かと”成功者”に学ぼうとする。しかし大勢いるはずの挫折した人たちにも目を向けるべきだ。所謂”天才”と言われる人たちでさえ、偶然にその人生を左右され不遇のまま生涯を終える人もいるだろう。私たちは、自分が初めに選択した野心に、固執するべきではないのかもしれない。

 では、どうすればよい仕事を選ぶことが出来るのか。

 それは、誤った思い込みや心の声に耳を傾けるのではなく、実際の自分の能力に基づいて仕事を選ぶことである。「得意なもの」は「好きなもの」であることが多いし、「得意なこと」は周囲から評価を得ることが多い。

5. 世界に偉人は存在しない

 偉人や成功者、リーダーと呼ばれる人々は、私たちに希望を与えてくれる。私たちは実際にこの世界を変える力があるのだ、と。しかし私たちには本当に「世界を変える力」があるのだろうか。

 著者はこうした思想が、現世紀を象徴をする幻想的なイデオロギーのひとつであるとする。そこには、2つの誤解がある。

 ひとつ目は、フォーカスイリュージョンである(本書第13章にて述べられる)。私たちはある一つのことに集中して考えている間、それが人生の重要な要素であるように考えてしまう。しかし実際には、それは拡大された思考である。

 ふたつ目は、意図スタンスと呼ばれる概念である。

ふたつ目の思い違いは、アメリカ人の哲学者、ダニエル・デネットが提唱した「意図スタンス」と呼ばれる概念だ。「変化が起きる際には、必ず誰かの意図が働いている」という考え方のことである。そこには、実際に誰かの意図が働いているかはどうでもよい。

 

ロルフ・ドベリ著, 安原実津訳, "Think cleary", サンマーク出版, pp.395-396, (2019)

  自分が本書で最も印象に残った部分のひとつが、この箇所である。スティーブ・ジョブズがいなければスマートフォンの開発が、アインシュタインがいなければ相対性理論が、ティム・バーナーズ=リーがいなければワールド・ワイド・ウェブが。世界的な進歩や改革には、その変化をもたらそうとした”誰か”の意図があると考えてしまう。

 こうした我々の思考傾向に対し、著者は生物学的な進化をその理由のひとつに挙げる。仮に茂みの中で音がしたとき、風のせいだと考えるよりも、肉食動物や敵がいるかもしれないと考える方が安全である。そうした思考によって生き残った人々の子孫が、我々である。

 歴史上の重要人物は、その出来事における登場人物のひとりでしかない。世界の変革の歴史は、天才や偉人たちの歴史ではなく、偶然の重なりの結果でしかない。

 少々、極端な考え方だとも思うが、余りにも人ひとりの能力や業績を美化するのは、確かに不健康な考え方である。歴史上の偉人だろうと、尊敬する誰かであろうと、あるいは自分についても、外的な偶然に人生を左右されているということを心に留めるのは、適切な考えであると思う。

6. 最後に

 本書にはこうした人生における知恵が52章に渡り、述べられている。自分は本書を読んでいるときに、何となくでしかないのだが、現代に流布する思想の偏り(例えば、私たちは世界を変えられる、心の声に従う、天職を探すなど)に対する批判のように感じた。そうした現代的思想に偏るのでもなく、本書の思考方法を頑なに信じるでもなく、どちらも考慮した中庸を重んじるべきだと思うのは、自分が日本人だからだろうか。

 何れにしろ、本書に記載された”道具”をどう使うかは、読み手次第だ。多角的思考によって綴られた本書の思考方法は、ビジネス書として有益であると自分は思う。また、自分が知らないうちに陥った思考の偏りに気づかせてくれる本書は、読み物としても非常に面白い。